プロとは

将棋世界を初めて読んだとき、あの優しくて決して声高に自己主張する人じゃない瀬川さんが勇気ある提言をしたことにまず驚き、涙が出そうになりました。今日やっと週刊将棋を読んで、やっぱり胸が一杯になりました。指したい手が指せない辛さがわかっている人が、まだこの世界に希望を抱いていることはとても意義のあることだと思います。

感傷的な思いはおいといて、私の考えをこの機会に話します。私はプロの存在理由は、「見るファンが居るから」この一点に尽きると思います。決して将棋が強いからじゃありません。見るファンとは、すなわちお金に換えてでも見るファンです。大人(自分でお金が払える)のファンといってもいいかもしれません。将棋を、対局を、棋士を見て、楽しんで、対価を払う。これがなければプロの世界は成り立たないと思います。

新聞社から契約金を受け取るだけで、棋譜をファンの人に見てもらう機会がなければそのことに気がつきにくいかもしれません。私は成人してから、文化として将棋に興味を持ちこの世界に入ったので、どちらかと言えば指すファンより見るファンの気持ちを常々考えてしまいます。見るファンを増やしたい、それをライフワークにしたいと思っています。

昨年から将棋の観戦記を書くようになって、その反響はびっくりするほどでした。自分の対局結果ではまずありえないくらい多くの人から声をかけられ、歩いていたら「先生の書いたものがあった」と切り抜きを見せてくれた子供まで居ました。私は恥ずかしながらそこで始めて「ああ、将棋を熱心に見てくれる人はこんなにいるんだ」と実感できました。

一方で、今回週将が値上げしたことでもわかるように、出版業界やプロの棋譜が見られるネット中継など、ビジネスとして苦しい現実があります。それを目のあたりにする度に「将棋は素晴らしい、プロ棋士も素晴らしい。でもプロ将棋界に未来はないのではないか。指し将棋は生き残ってもプロは無くなってしまうのではないか」と思ってしまうことがあります。

子供が強くなりたいと思う延長でプロを志望するのは自然な流れです。プロの世界がある、それだけで魅力に感じるでしょう。だからプロを志す人が居るのが当たり前に思っている人も多いと思います。瀬川さんのように大人になって、いろいろな世界を見て、ましてや将棋界に長年居ていろいろな矛盾に直面しながらもなお、この世界に魅力を感じてくれるということは、有り難い以外の何者でもない話だと思います。決して順風とは思えない未来に夢を持ってくれる、それを将棋界内部に居る人は重く受け止めて考えて欲しいです。近い将来、実力・人気も飛びぬけているアマチュアに連盟から頭を下げてプロ入りをお願いする。でも当人は「プロには興味がないので…」。そんなことが、本当に起こりえないと言い切れるんでしょうか。